ありがとうとかごめんとか


「ありがとう」
「ごめんなさい」
「どうぞ」

私が大事にしたいと思っている3大ワード。

感謝すること
謝ること
譲ること

どれもこれも、1人では生きていけない私たちが、相手の気持ちを慮りながら他人と共生していくうえで超重要なワードだと思っていて、子供たちにも常々伝える日々。

そして夫にも。

勉強ができるとか
運動ができるとか
歌が上手だとか

そんなことよりまずこれ。

その中でも特にパワーワードだと思っているのは「ありがとう」

6年間の結婚生活で
何度も紛争を繰り返してきた
私たち夫婦。(何の話)

和解交渉において
最終的に私が夫に求めてきたのは
「ありがとう」を言うこと
「ごめん」を言うこと
の2点。

本当にほぼ毎度これ。
※「思いやりの気持ちをもつ」も最近追加♡


「ありがとう」
この気持ちが、
この言葉が、
あるかないかで
平和な世界(家庭)になるか
紛争が絶えない世界(家庭)になるかが決まる
と言っても過言ではない!

(結婚6年目の妻は語る。まだたった6年だけど、語っちゃう!)

「ありがとう」は心を救う。

その一言で
優しくなれる。
許せる。
頑張れる。

逆に
その一言がないだけで
心は荒む。

 

謝意は相手に強制できるものではないけど、それでも感謝の気持ちを示すべき場面ってあると思う。

言う言わないで迷ったら、言う一択。
迷う余地なし。
損得勘定必要なし。

言われて嫌な気分になる人って、きっといない。

そして重要なポイントは
後で言おうは、ダメ絶対。
私はこれ何度か失敗してて、伝えそびれた「ありがとう」がある。
特に家族や身近な人に対して。

「後で」は来ません。
忙しい毎日、色んなことを覚えていられません。
トイレで思ったこと、トイレを出ると忘れます。(え、私だけじゃないよね←)


私は、その場に相手がいない時は取り急ぎでもLINEで感謝を伝える。

私より先に起きた夫が「名もなき家事」をさりげなくやっておいてくれた時とか。子供たちの水筒に水を入れておいてくれたとか、そのレベルでも。本当些細なことなんだけど、その1分にも満たない手間が省かれるだけで、忙しい朝にすごく余裕ができた気になる。忙しい朝にもたもたしている子供たちに少しだけ優しくなれる。(時間的余裕は多分そんな変わらないけど心の余裕が違うのよ。)

大事なのは、
言葉にすること
ちゃんと伝えようとすること

だと思っていて。

思ってるだけでは驚くほど伝わってない。
テレパシーとかない。

血のつながった家族でもそうなのに
夫婦なんて尚更。

意識して癖にしないとサッとは出てこないもの。
身近な人であればあるほどそう。

「今までそうだった」
「当たり前」
「お互い様」
という感覚が邪魔をするから。

1日の終わりに伝えそびれた「ありがとう」がないか考えながら日記をつけるのが私の日課。
日記の中で毎日誰かしらへの感謝を書いている気がする。我ながらいい癖だと思ってる。

子供たちを見ていると、

何かをいただいたりして相手に感謝する場面で、喜びが先行して感謝の言葉がさっと出て来ず(子どもなんてそんなものとは思ってはいるのだけど)、私に「なんて言うんだっけ?」と言われて
やっと「ありがとう」が言える
日本語堪能な4歳の娘。

一方で
とんでもなく些細なことでも
「〜してくれてありがとう」を
極めて素直に
1ミクロンも言わされてる感なく言える
絶賛日本語習得中の息子。
(舌足らずの言い方が可愛いんだまた。)

たぶん
2年前の娘もまた、まだ辿々しい日本語で今より「ありがとう」がさらっと出ていたんだと思う。

色んなことを言葉で伝えることに
ずいぶん慣れた4歳と
色んなことを言葉で伝えることが
ようやくできるようになってきた2歳。

慣れてないが故にできることが
慣れたからできなくなったことが
あるんだと気付かされる。

娘の2歳時には経験しなかった色んな(手がかかる)ことを経験させてくれて、白目剥きっぱなしだけど
素直な気持ちをまっすぐに言葉にできる今の息子を、素敵だなと思う。

大人になってもそうであってくれと願う。

そして
言葉で意思疎通をすることに慣れきった私も、そうありたいと思う。

「ありがとう」をめぐって
夫や子供のことを色々ここで書いている私自身も全然完璧ではなくて、伝えきれてないこともたくさんあると思うから。

「ありがとう」は世界を救う。(しつこい)

何様でもないのに
何様かのように

まーた語っちゃったー。

あくまで自論です。(急に弱気←)

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